チームをツクル。価値をツクル。ツクリビト株式会社

グローバリゼーション 人類5万年のドラマ

「反グローバリゼーション運動」というと、北海道で開かれたG8サミットに集結した活動家たちの姿や、あるいは1999年、シアトルのWHO会議で集まったデモ隊がスターバックスを襲撃したことを思い出す方が多いのではないでしょうか。

1人の青年が屑かごをコーヒー店のスターバックスのガラスのドアに投げつけた。通りかかった年配の婦人が青年を叱った。
「おやめなさい。この国とこの町を侮辱するつもり?」
青年は大声で言い返した。
「正当防衛だよ」
「何から自分を守ろうというの?窓ガラスから?」呆気にとられた婦人は叫び返した。

グローバリゼーション(あるいは「グローバリズム」)という言葉は、グローバル企業による環境破壊・地域文化の破壊などとセットで語られることが多いようです。
しかし、ウェブスターが定義する「グローバリゼーション」は

(物事を世界的な視野で捉え、認識し)世に知らしめ、普及させること

という意味であり、言葉自体にはネガティブな意味はないのです。
では、なぜグローバリゼーションはこのようなネガティブなイメージを付与され、非難されているのでしょうか?
そして、グローバリゼーションを恐れ、批判する者はいったい誰なのでしょうか?

本書は、人類の歴史をグローバリゼーションの歴史と捉え直した力作です。
グローバリゼーションという視点で人類の歴史を語るわけですが、たかだか上下巻600ページくらいで人類の歴史を振り返ろうとしたらかなり忙しいことになるのは読む前から見えています。つまり、そういうことです。本書には膨大な情報量が詰め込まれています。

人類が、発祥の地アフリカから5万年から7万年くらい前に旅立ち、地球の隅々に散らばり、そしてまた再び出会う、そのプロセスを筆者は「グローバリゼーション」だと言います。 世界中の街角にマクドナルドやスターバックスが出店して、どこに行ってもおなじような景色になってしまうとか、ナイキのスニーカーをインドネシアかどこかの貧しい子供たちに低賃金で作らせて搾取するとは何事かとか、グローバリゼーションの過程で様々な軋轢があるとしても

グローバリゼーションは世界を舞台にした道徳劇でも、善と悪の終わりのなき戦いの物語でもない。グローバリゼーションは、決して終わることのない人類の挑戦のドラマなのだ。そこに描かれているのは何百万という個々人が営々と積み重ねてきた充実した人生、大きな安心を得るための懸命な努力の証であり、その実現のために人々は利益を求め、生計の道を求め、知識、心の平安を求め、自分自身の身を守り、かわいい子供たちを慈しみ、社会の安全を守ろうとしてきたのだ

だとすると、グローバリゼーションを止めることは誰にもできそうにありません。