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Outlier

(注意)翻訳版が出ましたが、このレビューは原書を読んだときの感想です。

ベストセラーを連発しているマルコム・グラッドウェルの新作です。 近いうちに翻訳版が出版されるのは間違いないと思います。
前々作「ティッピングポイント」は『あるアイディアや流行もしくは社会的行動が、敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間』を、
前作「Blink(第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい)」では『直感』をテーマに取り上げた著者が、今回選んだのは「成功」です。

成功するものと、そうでないものの違いは何なのか?

よくある成功談では、成功者は「並外れた能力」や「ずば抜けたカリスマ」や「驚くほどの才能」を持ち、他人には真似ができない努力をします。
つまり、「成功とは成功者本人の資質と努力の賜物」だというのが、それらの成功談で共通する結論です。
著者がこの本で試みるのは、そういう成功のイメージを書き換えようとすることです。

本書のタイトル「Outlier」にはこういう意味があります。

  • 飛び地
  • 統計上の異常値

著者は、Outlierの例として、Roseto Valfortoreというイタリアの町の例を挙げます。
19世紀後半から20世紀の初頭にかけて、アメリカのペンシルバニアにRoseto Valfortoreの人々が大量に移住してきます。
移住してきた人々は、イタリアにいたころの町並みや生活をそのまま再現し、町の名前もRosetoとします。
ここまではありふれた話です。
スチュワート・ウルフという医者が訪れるまでは。
ウルフは、Rosetoでは65歳以下の心臓病患者にあったことがない、という話を聞いて驚きます。
1950年代のアメリカでは、65歳以下の男性の死亡原因のトップは心臓病でした。65歳以下の心臓病患者がいないということは、ありえないことだったのでしょう。興味をかられたウルフは、Rosetoで調査を始めます。
そして、その結果わかったこと。

  • Rosetoには55歳以下で心臓発作で亡くなった人はいないし、心臓病の兆候を示すものもいない。
  • 65歳以上の男性の心臓病による死亡率は、全米平均の半分。
  • そのほかの原因も含めた死亡率は予想よりも30~35%低かった。

自殺やアルコール中毒・薬物中毒もなく、犯罪も少ない。生活保護を受けているものもいない。多くは老衰で死んでいく。
Rosetoの人々はイタリア式の健康的な生活を送っているのか思えば、実はそうではなく、イタリアに住んでいた頃と違って、オリーブオイルではなくラードで料理し、ピザも分厚くゴテゴテと具が乗っているものだし、クリスマスやイースターのときにしか食べなかったような菓子も日常的に食べるようになっていました。食べているもののなんと41%が脂肪でしたし、ヘビースモーカーや肥満している人も多かったということです。
Rosetoはまさに「統計上の例外」。
Outlierだったのです。
ウルフは、このRosetoの人々が健康である理由を、Rosetoそのものに見つけます。
(このへんはほかの資料を読んでみないと釈然としないものはあります)
なぜその人が健康なのかを理解するには、その人が何を食べているか、どんな運動をしている、だけではなく、その人が属している社会がどのような文化を持ち、人々がどのようにかかわり合っているかを知る必要がある、とウルフは訴えました。
つまり、健康を「個人」だけを見て判断するのではなく、その個人を取り巻く「環境」も見る必要がある、ということです。
ウルフと同様に、著者は本書を通して、成功を語るときに「成功した個人」だけを見て語るのではなく、その周囲の環境も含めて語る必要がある、ということを訴えています。

人はゼロから成功することはない。
成功するためには、自分を支え育ててくれる人や環境、タイミングが必要だ。
成功談は、成功者がひとりで成し遂げたように書く。
しかし実際は、成功者には、そこに書かれていない利点や、並外れたチャンスがあった。

本書のテーマを語ってしまうとそれだけで、しごく「当たり前」な感じがしてしまうのですが、読み物としてみるととてもよくできています。

マタイ効果

「金持ちはますます富み、貧乏人はますます貧しくなる」

これがマタイ効果です。もとはマートンという人が科学界の報償体系について語った論文からきています。
ノーベル賞を受賞したら、受賞したということだけで、さらに有利な研究環境を与えられる、つまり報償そのものがさらなる報償を呼ぶ、という意味合いです。
具体的な例として、著者はカナダのアイスホッケーリーグの下部組織の話をします。
年代別の強化育成システムがあるおかげて、ホッケーを始めた子供たちは、非常に早い段階から選別されて、上のレベルに押し上げられていきます。最終的にプロリーグに入るのはまさにエリート中のエリートということになるのですが、そのエリートたちは才能に恵まれたからその地位に就けたわけではないというのです。
もちろん才能や努力は必要ですが、それだけではなく、生まれた月も恵まれている必要があるのです。
選別は年代ごとに行われますから、その年代をいつの日で区切るかが非常に重要な意味を持ちます。
1年間をある日で区切ったとき、その前日に生まれた子供は、ほぼ1年分先に生まれた子供と競わなければなりません。
これは、低学年の子供にとっては非常に大きなハンデになります。
※日本の実例は「思い込み検定」で書いていますので、興味があればご覧ください。

10,000時間ルール

1990年代、音楽学校の生徒を3段階に分類してその違いを調べた研究があります。
最初のグループは、学校を卒業したらプロの演奏家として世界的な活躍が期待できる生徒。
次のグループは、そこまではいかないにしても「良い」と評価できる生徒。
最後のグループは、プロの演奏家はとても無理で、学校の音楽教師になると思われる生徒。
バイオリンをはじめた年齢はどのグループも同じ、5歳くらいからでした。
最初の数年は、みな週に2、3時間の練習をしています。
しかし、8歳くらいから違いが現れはじめます。
最初のグループに入っている生徒たちは、ほかのグループの生徒たちよりも練習時間が増えだし、9歳になる頃には、週に6時間の練習をします。12歳までには週に8時間、14歳で週に16時間、20歳になると週に30時間以上を練習に費やしています。合計で10,000時間以上になります。
一方、2番目のグループの生徒は20歳までに8,000時間、最後のグループは4,000時間しか練習していませんでした。
次に、この研究者たちは、アマチュアのピアノ演奏家とプロのピアニストを比較します。
ここでも同様に、プロとアマチュアの違いは練習時間でした。
プロのピアニストが20歳までに10,000時間以上練習しているのに対して、アマチュアは2,000時間でした。
おどろことに、調査では「生まれながらの才能」は発見できませんでした。それは「ほかの人ほど練習しなくても上手に演奏できる人」はいなかった、という意味です。また、ほかの誰よりも努力しているのに、トップレベルに到達することができない人も発見できませんでした。

どんな分野でもワールドクラスになるには10,000時間の訓練が必要だ

※ちなみに、この10,000時間ルールの話で釈然としない部分(時間数だけが強調されている印象)があったので、いまは同テーマの別の本を読んでいます。その本でも違う調査の結果が書かれていますが、結論はどちらも同じ「才能は実在しない」。
「才能」が持つイメージ、例えば、バイオリンなら習いはじめてすぐに才能の片鱗を見せ始め、ほかの子が数ヶ月かかる曲を3日でマスターした、などといった逸話をすぐに想像できます。そういったイメージで語られるような「才能」は実在しない、という意味です。

KIPP

1990年代の中頃、「KIPP」と呼ばれる学校がニューヨークに創設されました。
KIPPの特徴は、カリキュラムの改革よりも学習時間を確保することを主眼にしていることです。
生徒たちは貧困家庭から抽選で選ばれます(面接もあるようですが)。
貧困家庭では、夏休みなど学校がない間の教育が充分ではなく、その結果、裕福な家庭の子供に比べると成績が落ちてしまう傾向があるようです。
KIPPに入れば、そういった貧困家庭ではサポートできない教育を受けることができます。
KIPPでは授業は7時25分から5時まで行われます。生徒たちが家に帰って宿題をこなし終わると夜の10時くらいなっています。
勘違いしないでほしいのですが、KIPPには日本で言えば小学生から高校生くらいまでが通っています。
ここでも、「時間」ですね。

最後に

ここで紹介したのは「時間」が中心でしたが、これ以外にも「民族」「文化(家庭も含めた)」「時代」などの要素を豊富な事例で語っていて読み応えがあります。
著者はコンセプトを作るのが非常に上手です。
「10,000時間ルール」なんてキャッチーですよね。私も読んでから何度も使っています。
でも、残念ながら、厳密さという部分では疑問符がつく部分が何カ所もあります。
とくに因果関係と相関関係を混同する傾向があるのが気になります。
例えば、「勉強する時間数と成績」は相関関係はあっても因果関係はあるとは言えないと思うのです。
言えるとしたら、「その時間、どのような勉強をしたか」が重要になると思うのですが……
(10,000時間ルールのところにも書きましたが、そういう部分を補う意味で別の本を読んでいます。そちらも近日中に紹介したいです)
わかりやすく伝えるのが上手ではあるのですが、結局のところなんなの?という疑問が残るのは、今までの著作に共通する部分です。
例えば、前作の「Blink(第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい )」は、直感の素晴らしさがテーマになっているのですが、彼はただ素晴らしさを述べるだけではなく、誠実にも自身の主張の弱点も伝えようとしています。
直感には利点だけではなく、間違えることもある、と。
しかし、「直感=ヒューリスティック」、つまり直感は判断は早いが思い込みに左右される、ということはあらためて言われるまでもない常識だと思っていたので、読後「だからなに?」という疑問が残ってしまいました。
おもしろく読ませる技術は素晴らしいが、その内容を鵜呑みにしてはいけないと感じます。
そして、コンセプトを的確に伝えるコピー(タイトル)にベストセラーの秘密があると思います。
そういう意味では「Blink」の邦題『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』は、これでよかったのでしょうか?。