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なぜあの人はあやまちを認めないのか

駐輪している自転車のかごに誰かがゴミを捨てたら、ほかの人もゴミを捨てるようになるのはなぜ?

おまえは間違っていたという証拠を突きつけられたとき、ほとんどの人間は考え方や行動を改めず、かえって頑固にこれを正当化する。

認知的不協和」という言葉をご存知でしょう。
「認知」というのは簡単に言えば「事象を解釈していくこと」です。
「事象」を「心象」に変えるプロセスとも言えるでしょうか。

認知的不協和とは、心理的に相容れないふたつの認知事項を抱え込んだときに起きる緊張状態のことです。

愛煙家が喫煙の害を示す情報に接したとき
煙草をやめたいのにやめられないとき
太り過ぎだとわかっているのに、ケーキを食べたくて仕方ないとき
コンビニで買い物をしたとき、店員が釣り銭を間違えたのに気づいていても何も言わなかったとき
通勤電車で目の前に老人が立ったのに寝たふりをしたとき

わたしたちの日常には、このような認知的不協和が頻繁に起こります。
そのつど緊張状態を解決していかなければいけません。
そのような緊張を抱えたまま生活をすることはできないからです。

「自分は善人だと思っている」という認知をわたしたちの多くは持っています。
最後の例は「善人」である自分が「寝たふり」をした、という意味で不協和が発生します。
そんなとき、わたしたちはどう解決するでしょうか?

  • 「今日はいつもより疲れているから」
  • 「こんな満員電車に乗ってくるほうが悪い」
  • 「このあいだ席を譲ったし」
  • 「隣の若者が譲るべきだ」
  • 「元気そうだから大丈夫だろう」

どれも、善人が席を譲らない理由としては弱いものだと思いませんか?
でも、こう考えるだけでなんとなく納得することができるはずです。
これを「自己正当化」といいます。

本書は、認知的不協和の解決策としての「自己正当化」に焦点を当てています。

わたしたちの多くは、自分自身を「能力があり、良い人」だと思っています。
そこで、わたしたちはその認知を否定しないような行動をとるのです。

例えば、あなたが3ヶ月間で1000万円の自己啓発プログラムに参加したとします。
この期間と金額があなたにとって大きければ大きいほど、
プログラムに対する評価は大きくなるはずです。
「3ヶ月毎日通ったけど、正直言って1000万円棒に振ったよ」
などと言える人は、なかなかいないものです。

(自分にとって)高額の買い物をしたひとは、購入したあともパンフレットを見たり、ウェブサイトを見たりと、買ったものの情報を収集しようとする傾向があります。
そこで集める「情報」は、「自分の買い物は(判断は)正しかった」と思わせてくれる情報ばかりです。
これもまた「自己正当化」なのです。
※逆に言えば、高額の商品を扱う側は、そこまで気を配る必要があるということですね。

半世紀前、レオン・フェスティンガーという若い社会学者とふたりの同僚が、この世は12月21日に終わると信じているグループに潜入した。
予言がはずれたときにグループがどうなるか知りたかったのだ。
グループを率いる人物を彼らはマリアン・キーチと呼ぶことにした。
彼女によれば、12月20日の真夜中に空飛ぶ円盤がやってきて、信心深い者だけを乗せて安全な場所に飛び去っていくという。
信者の多くは仕事を辞め、家を捨て、蓄えを使い切って終末を待った。
地球以外で暮らすのにお金が何の役に立つだろう。
おびえ、あるいはあきらめの心境で自宅に籠る者もいた(ミセス・キーチの夫は終末論など信じておらず、この夜は早々とベッドに引き上げると、妻や信者が居間で祈りを捧げるのをよそに熟睡していた)。
ここでフェスティンガーも予言をしてみた。
例の終末論を狂信的には信じていない信者、つまりどうぞこの真夜中に死ぬことになりませんようにと願いながらひとり自宅で世界の終わりを待っているような信者は、黙ってミセス・キーチを見限るだろうということがひとつ。
しかし財産を投げ捨て、みんなでいっしょに宇宙船の到来を待った信者は、かえってミセス・キーチの不思議な予言能力を信じるようになるだろうということがもうひとつだった。 彼らは仲間を募るためならどんなことでもするようになるはずだ。

ミセス・キーチの予言とレオン・フェスティンガーの予言、どちらが当たったのか、言うまでもないでしょう。

このような自己正当化は、日常のあらゆる場面で見られます。
家事労働についての研究によれば、夫婦それぞれに家事の分担の割合を訪ねると、合計は100%を大幅に越えるそうですが、わたしたちは自分自身を正当化するためには記憶を改ざんすることすらします。

そのために

多くの夫婦は離婚する頃にはもう、なぜ自分たちが結婚したのかを思い出せない

そうです。

本書は、わたしたちがいかに認知の不協和が起きたときに認知を変えていくのではなく変えないですむ方向に行こうとするのか、
自分自身をどのように騙すのかを教えてくれます。

では、自己正当化する仕組みを理解することで、私たちの行動を変えることは可能なのでしょうか?
本書では、実際に自らの過ちを認めた人々を紹介しています。
行動を変える方法論ではなく、精神論が主になっていて、多少、理想論にすぎる感もありますが、企業のリスク管理を考える上では、非常に参考になります。

「自己正当化」という人間に備わったメカニズムを理解し、人間関係における自らの行動を(他人の行動を、ではなく)新たな視点で見るには、大切な本だと思います。

自己正当化そのものは悪いことではない。
そのおかけで私たちは夜、ぐっすりと眠ることができる。