本当にあった嘘のような話
偶然の一致は毎日、あらゆる場所で起きています。
しかし、わたしたちは自分にとって意味のある偶然の一致にしか目を向けません。
この「偶然の一致」に、「シンクロニシティ」や「虫の知らせ」などの別の名前を付けることで、なにやら宇宙の深遠な計画の一部に触れた気になってしまいます。
シンクロニシティは「共時性」ともいい、心理学者カール・ユングが提唱した概念です。
事象がどのように生起するかを決定づける原理としては、それ以前に因果性(原因があるから結果が起こる)がありましたが、共時性は因果性では説明できないような「因果関係を持たない2つの事象」の間になんらかの関係を認めることができる状態を説明する概念です。
因果性を科学的に検証することは可能ですが、共時性を科学的に検証することはできていません(検証しようとする研究者がいるかどうかもわかりません)。
共時性ではなく、しかも科学的に検証可能な概念としては相関性(相関関係にあるということ)がありますが、こちらは事象同士の関係を表すだけで、事象が生起する原理とは無関係です。
「気温」と「アイスクリームの売り上げ」という2つの現象には因果関係を認めることができます。
しかし、「ビーチサンダルの売り上げ」と「アイスクリームの売り上げ」の間には一般的に言って相関関係はあっても因果関係はありません。
世の中に流布している「とんでも話」には、この相関関係と因果関係を混同しているものが非常に多いと言えます。
ある年のビーチサンダルの売り上げと太陽の黒点活動が完全に一致したとしても、それを「不思議な偶然」以上のものだと考える人は(たぶん)いないでしょう。
前置きが長くなりましたが、本書は「不思議な偶然の一致」がテーマです。
著者は、偶然の一致が人生に与える素晴らしい側面を肯定しつつも、偶然の一致の原因を「高次元の不可思議な存在」とかではなく、確率論であっさり否定しています。そして、偶然の一致の人の精神に対する働きを説明するのに、興味深い指摘をしています。
厳密に言えば、比喩は人が考えだしたものだから、偶然の一致ではない。
だが、驚くべき事実に力を与えるために、まったく関係のないものを融合させるという点では、同じ働きをするのである。
豊富な事例が紹介されていて、たのしく読むことができます。
タイタニック号の悲劇が起こる14年前に、事故に酷似した内容の小説「タイタン号の遭難」が書かれていた。
テキサスでの公演中に、突然の病のために亡くなったカナダ出身の俳優チャールズ・コフランは、その町の共同墓地に埋葬された。
1年後、ハリケーンが共同墓地をめちゃくちゃに破壊し、コフランの棺は波にさらわれてしまった。
棺はそのままフロリダ沿岸を漂流し大西洋に達し、メキシコ湾流に乗って北に運ばれた。
そして一ヶ月が経ち、コフランの出身地プリンスエドワード島の浅瀬で漁師がぼろぼろになったコフランの棺が浮かんでいるのを発見した。
棺は島民の手でコフランが洗礼を受けた教会の墓地に埋葬された。
ここには、偶然が引き起こす驚きだけではなく、ドラマがあります。
人はそのドラマに魅かれるのでしょうか?
著者は、「コントロールの錯覚」という考え方を紹介します。
たまたま起きた出来事と自分の思考を結びつけようとする心理のことです。
信号に心の中で「青になれ」と命じたら変わったとか、雲を消したとか。
この心理と、縁起をかついだり迷信を信じたりする心理は似通っていて、どちらも、「人生をコントロールできていると感じたい(統制感)」という欲求から起きるようです。
もし、小説や映画の中で同じようなことが起きたら「ご都合主義」と批判されてしまうようなことも、実際に体験すると「不思議な出来事」と肯定的に受け入れられる。偶然の一致にいろいろな理由をつけて意味付けをしようとする、人間の精神の働きのほうが「何千万分の一の出来事」よりもはるかに驚くべきものだと思います。
私たちは出来事を関連づける能力に長けているからこそ、種として反映してきたのです。
その代償が、実際には存在しないつながりやパターンをたまに見つけてしまうことなんです。
パターン認識の進化が幽霊を見せるのと同じなんですね。